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【ドラゴン乗りの時代はすでに終わった】
【二足族には関わるべからず】

 午後の日光はサコッツの鱗を照らし、 その暗緑色の奥に翡翠のきらめきを灯し出した。 ぐぅ‥ぐぅ‥と彼の寝息とともに脇腹がゆらりと動き、 日向が 雲母(うんも) の多い 花崗岩(かこうがん) のようなキララ模様。 日光によっての温度差に答え、 転がろうとする途端、 遠い甲高い悲鳴と バタバタガシャガシャの物音が 耳に入ってきた。

 突然な深呼吸に加え、目が覚めた。 瞼と瞬膜がぱっと、ワイン紫の虹彩を露出。 寝起きて、森へ臨んで、 意識に戻ったサコッツは欠伸をして 少しの腹ぺこに気づいた。

 まるで獲物の声ぢゃなかろうか、今の?

 全長約4メートルの猫のように背伸びした。 森の上空を鳥が不思議なことに 舞い上がってる。 そこへ向かおっかと思って 翼二枚を広げて飛び立った。

 レルヴェンの谷はドラゴンの国。 雪を頂いた山脈に包まれて、 レルヴェン川の下流の領域も沼沢のため、 翼のない人の行き来は殆どない。 鳥の獣人のアルヌイなら たまに旅行しに来るときもあれど、 アルヌイとドラゴン以外の人族を 百科事典でしか知ったことのないサコッツは 典型的な住民。

 山猫だったのかと推測した。 麓を覆う広葉樹林を循環して、 鋭い目で異変を探って、 (ようや)く 鮮血の香りを察知した。 風の流れを遡ると、 何かが落下した跡をしてる崖。

 猫には水がキライな派と 水が好きな派があるように、 ドラゴンにとっての樹林は好き嫌いなこと。 サコッツは好き派。 手練を活かして丈夫な樹に着陸し、 地面まで ()じ降りた。 (かえで) と午後の日光と血の混ざった香りは 鼻孔に漂う。 サコッツは翼をぎゅっと脇腹に付けて、 ガラス細工を売る店舗に入ったように 丁寧にくぐっていく。

 あった。 荒肝熊(アラギモグマ)。 しかも大きめな雄のが崖の (もと)に 見つかった。 めちゃめちゃ具合で落下したのは明らかだが、 死因は見たことのない形の槍。 それは 熊の胸に付き立てられたと、 丈は非常に短かだと見たばかり、 サコッツは槍か矢かと知らなかった。 ドラゴン族の女が使う槍より短いし、 アルヌイは弓しか使わないぢゃないかと。 武器の種類はおろそか、熊は それに刺されて、落下して、途中の衝突により 傷口が悪化して、すごい出血で死んだと 思える状態だった。 血まみれの毛はいい匂いでサコッツの食欲を促した。 しかし、武器の持ち主は 熊ぢゃあるまい。

「おい、誰か居る? 大丈夫? お前さんの獲物はこっちに落ちたぞ」と 声を掛けた。 返事は来ない。

「おい〜!」

 崖をよく見直すと、 もう一筋の血痕の跡があった。 ゾッと気づいたことに、 ある岩の割れ目に 引っかかって取れた 人の腕がある。 違和感のヘドが湧いてくる。

「おい、返事せよ!見つけねば助けれぬぞ!」

 最悪を恐れてるサコッツの突進。 多分、彼の足音、 木々を突破する騒音、 森の影に黒と見間違える 暗緑色の姿、 心配に満ちたドラゴンの目は 死ぬほど恐ろしかろう。 でもそう怯えてる者を 見つからなかった。

 見つかったのは 小さめな人の悲惨な 身体(からだ)だ。 皮の衣装を着てる、 嫌なほどに静止した身体。 皮膚は豹みたいなまだら模様の毛が生えてる、 抹茶の色の目が半開きの身体。

「ね、起きて?」

 サコッツは状況をわかっても 願いながら鼻面で そっと肩を揺らしてみた。 血生臭さは忘れられなく 記憶に焼き付いてゆく。 見た目はやや山猫っぽくて…… 猫の獣人――クリーシェぢゃないのかと 思い浮かべた。

 サコッツは まだ若いドラゴン族の青年。 書物を読んだり、 谷の外の広い広い世界の夢を見たり するのが趣味。 爪と牙で獲物を取ってる。 運動はまあまあで、 男子なのに少し魔法使いの質が あるって判断されてる。 そういうドラゴンは今 獣人の取れた腕の根っこから 出血が止んだことと 息の感触が見つからなかったことに 気づいて 我に戻った。

 まだ冷めていない亡骸から 引いて、どっと座り込んだ。 初めて合った クリーシェの女がそんな目に…… 悲惨、悲惨。

【二足族の生涯は水の泡】
【二足族は微妙で短気】
【二足族には関わるべからず】
【ドラゴン乗りの時代はすでに終わった】

 サコッツは ドラゴン族の掟を反芻した。 なぜクリーシェの人がレルヴェンの谷に現れた?

 漸く立った。 木の実を採るための 籠を汚すに仕方なく、 死体を拾った。 軽い。ちっちゃい。 彼女の尻尾は足より短くて、 身長はせいぜい140センチ。 サコッツの全長の3分の1以下。

 槍も拾いたかったけど、 熊の残骸から取り出せなかった。 ちっちゃいのにそんな獣に立ち向かって 勝ったとは……致命な戦いだったのに……

 サッコツはアミナさまを伺いに、 そこを去っていった。